宇品港をカイと散歩

宇品港の波止では魚釣り

今日は家から甲斐犬のカイをつれて歩いて宇品港に行ってみることに、家からは約2kmありウロウロと往復すると5kmほど
宇品港の波止場公園の芝生でカイはゴロゴロ、芝が大好きです
横ではテントが張られて牡蠣祭りが行われていた
休日でもないのに宇品の波止場には多くの釣り人が小魚を釣っていた
まだ小イワシの群れは来ていないようですね
宇品港は昔は軍港として使われ、広島駅から宇品港までは宇品線があったが廃止された
さて、昼からは明日の準備を・・・

カイは芝の上でご機嫌

宇品港波止場公園の芝生

カイは芝の上を走り回ります

芝の上でゴロゴロ

芝でひっくり返っています

走ってきて横転・・ゴロゴロ

日清戦争、日露戦争の陸軍桟橋だった碑があります

国民唱歌の”港”の歌は宇品港で詠まれたものです

宇品線の記念碑 昔は軍用として活躍した

宇品線は、宇品港が軍用港としてクローズアップされた日清戦争の明示27年に、山陽本線の完成に合わせて敷設された旧陸軍の軍事専用線で、明治39年3月制定の鉄道国有法により国鉄に移管されたものです
広島-宇品間5.9kmを着工からわずか16日間で完成、さらに起点の広島駅には軍用列車の引き込み線が整備され、終点の宇品駅には陸軍運輸部宇品支部が設けられました
太平洋戦争が始まると、兵士や兵器を積み込んだ軍用列車が昼夜となく30分おきに入るほどあわただしい毎日でした
宇品駅のホームが560mと当時としては日本一の長さを誇っていたことからも、宇品線の果たした役割の大きさをうかがうことができます
広島に原爆が投下された昭和20年8月6日には、宇品-段原間を3往復し、約3000名の負傷者を宇品凱旋館に収容しました
軍用線の役目を終えた戦後は、貿易港として生まれ変わった広島港の動脈として、地域住民の足として利用され、広島の復興を支えてきました
しかし、道路網の整備が進むにつれて。貨物・旅客数は減少し初め、ついに昭和47年に旅客列車は廃止され、1日1往復のみの貨物専用線となったのです
そして昭和61年9月30日、宇品線は92年の歴史に終止符を打ちました
宇品線の解説文より

TAMの亡き父親も原爆のときは宇品の船舶司令部にいて市内に救援に行ったそうです

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1件のコメント

  1. そういやぁ最近魚釣りやっとらんねぇ

    • 最近はずーと建築屋さんや設備屋さんちょっと合間に百姓と忙しかったね
      充実はするけど燃え尽きないように
      たまには気を抜かないと

  2. カイちゃんも嬉しそうですね~^^

    • カイは芝が大好きですね
      ちょっと今月は忙しいので山にも連れて行く機会が無くて
      大変でしょうが頑張ってくださいね

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