共同湯・ジモ専巡り 野湯・無料・寸志温泉 久住連山の大船山の南山麓にある高濃度炭酸泉の温泉、静かな共同湯で感動のお湯を |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
七里田温泉
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
再び夕方訪問します、この辺りには宿泊施設は民宿しかないようで、先客は親子とそのおじいさんの3人でした 早速ゆっくりと入ろうとしましたが、子供が騒いで落ち着きません、ようやく上がってくれたので誰もいない温泉でSDKさんと世間話をしながら長い時間入ります 隣の女風呂にはSDKさんのXさんとTAMの娘が入っていますが居合わせた人と温泉談義に花が咲いていました ここのお湯はすばらしい高濃度の炭酸泉です いつまでも外来の我々が入浴させていただけるように、マナー良く使いたい物です 今回の温泉ざんまいのキャラバンでは久々の感動を味わったお湯でした |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
七里田温泉 今昔物語 この七里田温泉地帯は大船山などの噴火が終って弥生時代から古墳時代には温泉を中心に大変栄えていた様で、それを多数の住居跡や木の葉の石が物語っています 鎌倉時代から戦国時代にこの地方を治めていた朽綱鎮則がこの温泉を大変大事にして湯治などに使っていたようで、永禄4年(1558)には宮司、吉野帰神太夫の勧めでお湯の守り神本尊(六地蔵)を一作法印という坊さんに刻ませた物が今もこの地に立っています 鎮則の父宗暦は鎮則に(出湯の儀在所の飾りに候間方式修理掃除当申付事云々)温泉はこの地方の宝なので土地の決め事を守って修理や掃除などの怠りこと無い様に申し付けなさいという教訓状を与えている 後に藩州三木城より転付してきた岡城主三代目中川久清などは、寛永三年(1663)に、ここに御茶屋建て湯治に使っていた記録が残っていて当時(湯守の人を置き)米一石五斗を与えて、温泉の管理に当たらせたようです 明治四年には四室二十二畳と十二畳の二戸を建て一日いくらかの家賃で一般の人も利用していたようである 湯治の温泉は神の湯・御殿湯・上の湯・下の湯・新湯など多くの温泉があったようで遠くから湯治客や、商人などが集まってふるまった温泉場であったようで大変歴史の古い温泉場です この下湯はその名残を今に留めています |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
七里田温泉館 木乃葉の湯久住町から長湯に向かって行く途中、大船山のふもとにある温泉施設です炭酸泉のお湯は床や浴槽を茶色に変色しています、露天風呂は二つの浴槽があり、訪問時は金木犀の花の匂いでとてもリラックスできました 久住連山が露天風呂から眺められ雰囲気もいい施設です 入浴料も安い この温泉館で料金を払って下湯の共同浴場に行きましょう |
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
||||||||||||||||||||||||||||||||||||
AWLの温泉Top20 2006/01/27 UpDate |