びっくり橋の袂で 子供たちも小さい まだ30代の前半
1976年ごろ、Jeepが大好きな仲間がVFK、TAMを中心になんとなく10名集まりクラブを作りました、我々のクラブのモットーは自然を大切にし、他人と決してトラブルを起こさず、みんなファミリーで楽しくOutDoorを楽しむことです しかしJeepはあくまでオフロード を楽しむものです、 人の行かない(いけない) オフでの ハードな走行場所 をくまなく探し、近辺に多くの オフロード場所を見つけ 楽しんできました(その頃中国新聞からの取材です)Jeepingの連絡用として、少し動機は不純でしたがアマチュア無線の免許を全員で取得しました Jeepは当然ショートボディオープンタイプ です。 でも当初はランクルBJ40やジムニー8 もいましたが、ハードな走行を楽しむために自然にJeepタイプが多くなりましたが、最近は引退するJeepが増えて、 現役のJeepが少なくなり哀れな存在となっています
当時、雑誌に出た山小屋の記事
1980年ごろ、我々のクラブの本拠地が欲しくなり、よく遊んでいた広島県の吉和村に、クラブの ログハウス を約2年かけて 全員 の手作りで完成させ、アウトドアとJeepingの本拠地としておおいに利用しました。 この作業で仲間の連帯感が強まりその後長く活動が続いたのではないかと思います。 この山小屋の土地は地主さんから30年の約束で無償貸与を受けました、このころはこの周辺は何も無く、われわれが活動拠点を作れば人が集まると読まれたのかもしれません。 山小屋も長い間家族で使いいろいろな思い出がありましたが、子供が大きくなったことや、地主さんの思惑どうりか、別荘がブームとなり周囲に多くの建物が建ってきました。 とてもにぎやかになり本来AWLが求めていた環境と異なってきたため、約18年経った1998年5月に土地を返却することにして、山小屋もいっしょに引き取ってもらいました。 AWLのログライフが終わりました
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TAMは古希から喜寿へ・・・しかし、気持ちだけは負けないつもりだが、現実は体力と気力が維持できない・・しかし老兵に鞭打って・・・