千亀利城の中には入れなかった
岸和田の地名の起こりは、1334年楠木正成一族である和田氏が、当時「岸」と呼ばれていたこの地に城を築き、根拠地としたことから「岸の和田氏」と呼ばれ、「岸和田」となったそうです・・・・その後、信濃氏、細川氏、三好氏、松浦氏、中村氏、小出氏、松平氏とかわり、1640年岡部宣勝が入城、以来13代続き明治となる・・・岸和田城の別称は「猪伏山ちきり城」・・「ちきり」とは、機(はた)のたて糸をまく器具で、本丸と二の丸を重ねた形が「ちきり」に似ているところから由来するという・・・ちきり城は「千亀利城」「蟄亀利城」とも書かれる