仕事仲間で同年代の岡山のEDOさんが旅たちとなった
EDOさんの出会いは、審査員を始めたころ、審査会社の審査部長をしておられた
豪快ではっきりとモノを言う頼もしい、いかにも土木屋という感じだった
この頃の審査方針が一番良かったように思う
色々とこの世界で鍛えられた人だった
コロナが始まった年に審査員は引退されて
癌が再発されて手術ができなかったと言っておられた
仕事で岡山を通過すると「寄ってくれよ」とFBでお誘いがあった
仕事仲間が、昨年に岡山で皆が集まって食事会をした
実質のお別れ会となった
苦しむこともなく静かに、愛猫も一緒に連れて虹の橋を渡っていったとのこと
さいごまで頑張っていたEDOさんの、ご冥福をお祈りします
奥さんのFB
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