台東地区が歴史史料の中で最初に確認できるのは、オランダ統治時代の1636 年である・・オランダは1624 年、大員(現在の台南安平)にゼーランディア城(Zeelandia)を築城し、台湾南部への支配を開始した・・1636 年、瑯嶠社(現在の恒春)の族長が卑南覓(現在の台東)支配への協力を商館員に行い、オランダは中尉のジャン・ジュリアンソン(Jan Jeuriaensen)を派遣し現地調査を実施、その後マーテン・ウェスリン(Marten Wesselingh)を卑南覓に長期駐留させたとの記録があり、これが現段階の史料における台東の初見である・・・その後ウェシリンが現地民によって殺害される事件が発生する・・1642 年、オランダは数度にわたり軍を派遣した・・その後オランダは台湾を北部、南部、淡水、東部に分割し、その下に地方会議(Landdagh)を設置し、オランダの統治を受けた族長による支配体制を確立しオランダの支配に置かれた・・1661 年に鄭成功が台湾からオランダ勢力を駆逐すると、台湾は反清復明の基地としての性格を帯びるようになり、鄭政権はその支配範囲を南部一帯に主眼を置き、東部はオランダ統治方式を踏襲し、自治を認め、間接統治を実施した・・1683 年、清朝により台湾が平定されると、清は、台湾東部に関しては明確な統治を行えるだけの知識を得ていなかったため、当初は鄭政権の統治体制を踏襲し、1696 年には卑南覓など65 社が入貢し、大清子民としての地位を与えられ、卑南王に冊封ことで台湾東部の名義的な統治権を維持していた・・1895 年の下関条約により台湾が日本に割譲されると、台湾原住民による抗日活動が行われたが、1897 年には日本軍はこれを完全に平定、台湾に6 県3 庁を設置し、台東地区には台東庁が設けられ、その下に卑南、水尾、奇萊の三弁務署が設置された。1909 年には台東庁より花蓮に独立した花蓮港庁が設置され、台東庁は現在の台東県を管轄するようになった・・日本統治時代、台東地区では林業と農業を積極的に興業し、塩水港製糖、台湾製糖株式会社、花蓮木材株式会社等の企業が進出し、産業が誕生している・・1945 年、日本の敗戦により台湾は中華民国の統治下に置かれ、台東には台東県が設置され現在に
至っている・・台湾の県では最も原住民の比率が高く、全体の半分はアミ族など原住民(フィリッピン系)である
高雄→台東(東部海岸国家風景区)→花蓮
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