東京新宿に住んでいる母キクエの従妹(キクエの母の妹の娘)に当たる和子さんが田舎を訪ねてきたので、母と父が一緒に3泊4日の旅行している
島根の吾郷から、湯抱温泉で一泊(10/23)、出雲大社、一畑薬師と回り松江で宿泊(10/24)、倉敷に行き宿泊(10/25)して、瀬戸の耕三寺を廻って帰ってきている

左の上から、キクエ、サキコ、不明、トシエ、多留一さん子ヤエコ
下段は、新宿の和子(キクエの母木村シナの娘ナミの子)、木村多留一、福嶋ハルノ、父の保
東京新宿に住んでいる母キクエの従妹(キクエの母の妹の娘)に当たる和子さんが田舎を訪ねてきたので、母と父が一緒に3泊4日の旅行している
島根の吾郷から、湯抱温泉で一泊(10/23)、出雲大社、一畑薬師と回り松江で宿泊(10/24)、倉敷に行き宿泊(10/25)して、瀬戸の耕三寺を廻って帰ってきている
多分今までに誰も走ったことの無い岳切渓谷走破この先は大飛の滝(温見川)となります
岳切渓谷は大谷渓谷に比べ水量が多く広い部分もありますので爽快な走行で興奮ものでした・・でも今は入り口の滝の部分に小さな堰堤が造られ進入することは出来ません
昼食はお決まりのカレーをつくって、その後大谷渓谷を抜けて阿蘇山へ向かいます
阿蘇のミヤマキリシマを見学してUSBさん段取りの内牧温泉で1泊、翌日は大分に抜けて別府から由布で広島に帰ります
5月連休の大谷渓谷発見の衝撃は大きく、さっそくクラブ員に宣伝して9月に再アタックすることになりました
今回はTAM/VFK/JSW/SDK/SEI/XZB/QPJが参加
なぜかQPJは人から借りたランクルにお供の女性2人を連れて参加
JEEPはVFKのJ57/SDKのJ58/SEIのJ59の3台
前回と同じように国東半島の竹田津港から大谷渓谷に向かいます
大谷渓谷とヤマナミハイウエイから山下湖畔のススキの草原の林道を走り回り、由布院で宿泊します
翌日は佐賀関からフェリーで四国佐田岬の三崎港に渡り出石寺を通過して松山からフェリーで広島に帰ります
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AWLのクラブを設立当時に、なんとなく高須のVFK宅で、急に話がまとまり四国にドライブに行くことになった
TAMのボンゴで四国の高松に渡り、とりあえず1泊・・・良く覚えていないが.松山の堀江から山に入った権現温泉ではなかったかと思う
次の日は松山は通り過ぎ、砥部によって石鎚山の登山口となる面河渓にゆく
ここから南下して、四国カルストにあるバンガローで1泊
翌日は四万十川を延々と南下して宇和島に.海岸に沿って松山に帰りフェリーで広島に
お袋が昔の写真がいるというので、写真を整理すると懐かしい写真が出てきた
1989/02/02と日付があるが、服装からすると冬ではなく5月頃のようだ、バンガローで泊まったときもあまり寒くはなかった
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1988/09/25三次のTRY-Xのメンバーが広島に遠征してきたので、AWLのメンバーと一緒に、吉和から佐伯に抜ける篠原林道を走る
途中には橋が2個所落ちていたり、林道は雨でかなり荒れた場所が多くウインチも多く使うことになる
当時は絶好のオフロードコースだった
写真からTAM、QPJ、SEI、SDK、JND、KHBなどが確認できる
今の我が家はTAMが25年目に建て替えしたもの
以前の家は親父が建てた木造で、裏には大きな庭があった
多分、この写真の後、建屋は解体して新築したものと思う
庭には木々が生い茂り、豊かな庭だったが、その頃は余裕がなくほとんど処分してしまった
写真を見るとその頃が思い出され、ちょっと悔やんでいる
解体の直前にVFKさんに移設してもらった木々もあったが、どうなっているやら・・・1996年06月頃
三倉岳の北側の谷に入り込む林道があり、そこには水晶が良く見つかりました
小さな子供たちをJeepに乗せて良く行った場所です
両親を連れて子供たちとチロを連れてお弁当をつくって水晶探しに行きます
1986/05の時代です・・・古い写真を整理
AWLの恒例の雪中行軍は、手作りの2代目のスノープラウを装着して、J58とJ54の2重連で峠の山小屋を目指します
スノープラウはQPJさんの工場で加工して直し、1代目をから変更して両側にラッセルするようにします
この雪中行軍では順調に吉和の峠にある山小屋に到着できました
雨の中 匹見の駐車場で
USB,GYC,SDK.TAM 背景はAWLの山小屋
QPJさんが山小屋の会則を作りましたAWL山小屋規約